ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

MMORPGの自己顕示システム


うさだBlog - 「MMORPG」の画期的特性とは何だったのか
http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=227
より:

MMORPGの最大の新規性は、それが自己満足システムではなく、いわば自己顕示システムだった、という点にある。


自己顕示システムとは他人に自分の存在意義を顕示できることだけど、日本ではその「自己」が単なる名無しさんでしかないのがポイントかなぁと。突出するとすぐ難癖つけられて晒される文化で、自己顕示をできる隙間を必死に探すような、とてもせまっ苦しい感じがうねうねしてる。
ネ実に行けば「ネ実脳」として揶揄されるような最強指向、それらは全て自己顕示が成せる業なわけだけど、でも最終的には名無しである以上、個人の名声には全く直結しないわけで。逆に言えば、それが晒されなくて済む安心感というリスク回避に向かっただけなのかな。
確かにLDの堀江さんが実業者として尊敬されていた部分もありつつ、各界から相当に疎まれて、最終的にはああいう形で逮捕されたわけだから、別にネットだろうがリアルだろうが関係なく、日本ではそんなもんなのかなーということ。
突出はできないけれど、欲求としての自己顕示は存在する。だから、自己顕示の麻薬的魔力はただ目の前のどこぞと知れない名無しさんにしか向けられず、そういうカタルシスの部分だけがどんどん増幅してああいういびつな形になってしまうんだろうなーと思うと、ちょと、かなしーかな。


そこに出てくるのがd:id:Dryadさんの議論:

24-Hour Survival - [ゲーム]「世界」の住人たる事と「自己顕示システム
d:id:Dryad:20061023:p3 より:

MMORPGの持つ、プレイヤーの社会的承認欲求を充足させる「自己顕示システム」は麻薬的である、という議論。

しかし、先日のエントリで肯定されていたワールドシミュレータ(=「世界」を模倣するもの)において『その「世界」の住人になる』というのは、即ちゲーム内に模倣された世界に「自分の存在価値」を見出す、ということなのではないかと。『「擬似世界」という発想自体がリアルに対して冒涜的である』というのならともかく。


なぜMMORPGがワールドシミュレータたれなかったかというと、より自己顕示できる部分だけが濃縮されていった結果、余計なものを省かざるを得なかったからではないかと。現実世界をシミュレートするということは、無駄なものも含有するし、誰も知らない美味しい儲け話もいっぱいあるはず。でも現実世界で美味しい儲け話に手を付ける人がごくごく一部であるのは、それを手がけるイニシャルコストがとてつもなく高いから。それに対し、MMORPGで自己顕示するためには、現実世界でするそれよりもイニシャルコストが全然少なくてすむわけで。*1


そういう上での「住人」とは、私はこの最適化された「自己顕示システム」で自己顕示欲求を充足できましたよ、そしてこれからもここで充足させつづけますよ、ということを示しているだけなのではないかと。つまり、私はこのシステムのユーザーです。


初期UOで育ち、あらゆることを試せるからメインを赤魔道士にしているChaboとしては、多様性の否定はこの上なく悲しいのだけど。

*1:24H体制でノトリアスモンスターに張り付いてる人を見ると、あくまでイニシャルなだけなのだろうな、とは思うけれど。