ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

GLOCOM-RGNゲーム研究会レポートと感想

d:id:hiyokoyaさん達が手作りされているイベントの2回目でした。1回目は行けずじまいでしたが、今回はなんとか行けました〜。
http://www.glocom.ac.jp/j/labs/azuma/project/game/
でもでも、なんだか結構レベルが高くて門外漢が紛れ込んじゃったような感じのする研究会レポートです…!

田中氏(d:id:hally)の発表:「ゲームの定義を再検討する」

この項は、レポートというより感想を。
途中から来たので序盤が聞けていないのですが、ゲームの定義は何かということはとても興味深かったです。
人間がゲームのことを「これはゲームだ」と認知するきっかけというのは、私の視点だとどうしても心理的なものになってしまうんですが、「報酬がある」ということを第一義に考えます。報酬というは、脳内で新しい認知ができるという意味(これは伊藤さんの発表そのものですね)だと思うのです。
MMORPGの視点で考えると、ゲームをやっているはずなのに、まるでゲームをやっている気にならない瞬間が来ることがあります。レベル上げのような単調なことを「作業」と揶揄するようなわけですが、あれはその瞬間「これはゲームである」という認識ができない状態までゲームとかけ離れているのではないかとも思うのです。ひたすら同じmobを狩り続けることは、次のレベルに上がるまでは全く同じことが続くわけで、新しい認知はほとんど何もないですし。このへんの認知がなんとなく面白そうな気がします。
では、勉強や新しい研究で知見を得ることもゲームなのか?というと、そういうわけでもないでしょうから難しいなぁ・・・


それからミニマムノミックの実践の中で思ったことは、最初「何がしたいの?」ということでした。
誰も点数を記録していない(ひとり会場の方が記録されてましたねw)、提案が採択されたかどうかがいまいちはっきりしていない、勝者・敗者はどうでも良いようなイメージがありました。つまり、勝ち負けはどうでもよくて、ミニマムノミックというものを「認知しようと楽しんでいる」という形のゲームが展開されたんじゃないかなー、と。これはディスカッションの中でも指摘されていましたね。
特に、「笑いが取れたら採択する」(会場:笑。結局採択されませんでしたねw)というようなルール提案の流れは、まさしく会場全体がこの「ゲームを理解する」ということに共感を得たからなんだろうなぁ、などと勝手に想像してます。

伊藤氏(http://homepage1.nifty.com/~yu/ d:id:ityou)のサブ発表

RPGのリソースマネジメントなど、「モンスターの階段」についての発表が興味深かったです。
新しくて強いmobを相手にし、どうすれば倒せるか(仮説)、ミスもしまくりつつ辛くも倒して(実践)、そのうちそれを繰り返すことによって簡単に倒せるようになっていく(確認)*1。これをリソースマネジメントの1サイクルとして、レベルアップしたり新しい装備を得た時、既存のmobではもう効率よく経験を得られないので、新しいリソースマネジメントが始まる。こうやって何段ものリソースマネジメントの繰り返していく。レベルや装備というのはすべてリソースマネジメントを新しい段階に押し上げるための仕掛けにすぎない、ということでした。
で、消費者によるプレイスキルの差は、「ボス戦で死んどけ」というチョイつよの門を作成して吸収する*2、と。
また伊藤氏は、強いアイテムがもらえる・レベルアップできるというのは報酬ではない。数値や強さは、リソースマネジメントからけり出すためのもので、自動調整機構の一部で、それ自体を商品として売っているものではない。とのことでした。


私が思う点としては、ゲームは「飽きられない」ということも一つのポイントなのだから、リソースマネジメントの連続が適切に続くことも、十分商品の一部になるんじゃないかなあと思ったりもしてました。MMORPGなんて、まさにリソースマネジメントそのものでしかないわけだし。
FF11では、eLeMeNなどの攻略サイトが攻略情報として既に検証済みなことが多く、例えばアサルトでラミア13号討伐などをやると、ディスペルすればokなんて楽勝攻略パターンがゲームの楽しみを奪ってしまっているのか、あるいはそれとは別に攻略情報があっても激ムズのPM「畏れよ、我を」などのようなバランスを取ることが正しいのか。なかなか興味深いところです。

ディスカッションの中で気になったこと

コンピュータゲームとコンピュータでないゲームの違いとは何か?という議論も面白かったのです。

完全情報ゲーム(将棋)と不完全情報ゲーム(軍人将棋)の違いなど

そう言われれば、RPGというのは基本的に不完全情報ゲームですね。

ゲームの要素とはエロさ、早さ、バイオレンス(伊藤氏)

・早さってなに?(会場質問>伊藤氏)
 (伊藤氏)他人より一手早いだけで価値があること。つまり、人より一歩先んじることの快楽。ファッションの雑誌を買って一歩先を行く、など。つまり、物理的な早さというよりも、応答・対応・情報の早さなどが当てはまる。

なぜゲームの定義で「楽しい」ものがゲームであるという視点を抜いているのか?(会場質問>hally氏)

(hally氏)「楽しい」という定義が非常に曖昧で主観論になりやすく、議論が不明確になってしまうことを避けるためにした。

確かに主観が入ると定義付けは無理になりますね。伊藤氏は、楽しいということが定義づけできるのではないかという主張をしていました。私の持ってる意見も、楽しいは定義づけできるっていう考えを持ってるんですが、さてどうなることやら。

「これはゲーム」で、「これはゲームでない」といったボーダーライン上の定義について

たとえばフライトシミュレータなど、ゲームになるのか曖昧なものは、片っ端から取り上げて定義付けしてしまおうよ、とか提案が壇上で行われていて、うはwwとか思っていました。「そんな多くないよ!」って言ってたけど、ほんとかな?

なぜMMORPGでは、初期のUOのような「何でもできる」という風潮が廃れたか?

ここに伊藤氏が大変興味深い指摘をしていたんですが、何かをするという行為は消費されるから、後続のゲームでは消費されたことを実行できない、とのことです。で、後続のゲームはより洗練されていく。たとえばときメモは、現在主流のビジュアルノベル型ゲームから比べるともっともっとごちゃごちゃしていた。そういうごちゃごちゃは理解して楽しめるけど、いったん理解されたらもーいいやというサブシステムは残っていない。つまり、理解されるようなシステムが消費されて、内側がスカスカになってしまっている。結局深化した部分というのは、選択肢があってある程度行ったらその子のルートに入って... という流れで、その他はなくなっていった、と。MMORPGの場合、その深化した部分とは戦闘成長システムのみであって、ここは他人が既にやったことでも楽しめる、とのこと。
じゃあ初期UOを知らない後続のゲーマーはどうなるんだ? という質問に対しては、MMOをやっているBlog(うちみたいなのか!)によって、それらの醍醐味やおもしろさは「こんなことがあったよー」と語られ、読まれ、読まれただけで消費されてしまうものだ、とのことでした。

(6/5追記)

私はやりこみ派ではないので、ラスボス倒したら(その後凶悪な隠しダンジョンがあったり、スフィア盤が残っていたり、アルテマ覚えてなかったとしても)もうやる気がなくなっちゃうんですよね。あれも我ながら不思議だなぁ。って弟と話してました。

*1:押井守「注文の多い傭兵たち」, 徳間書店, 1980。isbn:4198618291 http://homepage1.nifty.com/~yu/rpg/growth.html#10

*2:ざるの会, 1992