ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

Web屋の内部事情と断絶話。

その昔Web屋にいた私にとって、プログラマとクリエイター(と呼ばれているデザイン関連の絵仕事の人たち)の関係というのは結構興味深いです。

煩悩是道場 - [心理]絵描きはプログラマを相手にしないか:id:ululun:20060213:complex060213


とか、
Lounge Programmers Killer - 絵師とプログラマ。:id:mkg_b:20060213:p2


とかの記事を見てるにつけ、あーなるほど、このへんに原因があるんだろうな、って思ってみてました。


Webサイトを立ち上げるのに、別に単なる静的なHTMLだけ作ってれば良かった199x年代と違って、動的な仕掛けもほとんど必須条件になってきていた2000年以降。Web屋では、どのようなデザインで、どのようなプログラムで立ち向かうのか。そう、そこには「見てくれ」「仕掛け」という、1つのWebサイトに込められた企画の2本柱を司る「デザイナー」と「システムエンジニア」との仁義なき主導権争いがあります。

なにが断絶の元なのか?

ディレクションですよ、つまりSI屋的に言うとPMとかPLとかいう人がやる職責。
デザイナーとSE、つまり見てくれか仕掛けか、どっちから入るの?というところ。
Web屋は圧倒的に見てくれから入るんです。Web屋とは、もともと見てくれ=ホームページ制作稼業から派生した商売だから。だから、だいたいのWeb屋で、最初はデザイナーがディレクションを司ります。そして何が起こるかというと、デザイン>仕掛けというスケジュール構成の中、デザインOKなどに遅延が発生することによって、スケジュールが下流工程のプログラム作りのほうにしわ寄せがモロに行っちゃうんです。それでもデザイナーは知らんぷりで「なんとかやってくれ」。こんなんじゃ、Web屋所属のPGはキレますよね。
だから、SEが「仕掛け」という武器を手にして主導権を握りに行くんですよ。そして、「見てくれ」側を隷属させようとする。お前らは仕掛けに沿った見てくれを作ってりゃいいんだ、と。だから、css等のデザイン・プログラム分離技術というのは、Web屋のPGにとっては本当に救世主だったわけですよ。これで、上流・下流の関係から抜け出せる、と。*1
まあそんな感じで、一時SI屋とWeb屋の断絶の話題があったけれど、Web屋の中でもまた断絶があったりするわけです。

結局断絶やら守備範囲やらなんて

本物のディレクター、言い方かえるとPMは、見てくれ・仕掛けの双方に精通してるってことだと思います。絵心だけじゃだめ。設計力だけでもだめ。


私が4〜5年くらい前に某所で一緒に仕事をしていた某社のデザイナーI氏はものすごく勝気な性格で、仕掛けのことなど(HTMLの基礎知識も含めて)まったくわからなくて、妙に丸っこかったり法則性0だったり、どうやってHTMLで表現すんじゃボケ!みたいなデザイン*2を平気で作ってきて「俺はWebデザイナーだ」などとのたまっていたのを痛烈にDISっていたことがあるんですが、そんなことをして喜んでいたら、半年もしないうちに、ある程度SEの議論にすら参加できるレベルにまで上げてきました。聞いた話では、I氏の兄がSEやってたので、(表では絶対そんな顔はしないけど)裏で「教えてくれ」と頼んでいたとか。彼には(私が勝手に)ライバル心を持ってたりしましたけど、それって要するにパワーゲームなんですよね。他人を批判して喜び、何の生産性も生み出さない。でも彼はそこですべてを包み込んだ。私はそこで絵の世界に飛び込んで行けなかった。この頃のことを思い出すと、今でも悔しいなあ。
同じ会社でいたクリエイターの某T氏も、もともとはデザイン関係のLINGO使いだったのが、今ではLAMPをごりごりに操ってAjaxですからね*3。そこそこ知られているサイトも作っていらっしゃいます。
本当に向上心を持った人であれば、デザイン畑やらプログラム畑やらというチープな断絶など、簡単に飛び越えて笑い飛ばしてしまうんです。


なんだか私自身の限界を見たような気がしてorzなのですが...

*1:まあ世の中の流れを見ればわかるように、そういうわけにはいかなかったわけですけど。

*2:当時はStylesheetなんてfont-sizeだのpaddingだの、ロクなことにしか使ってなかったし...

*3:このへんはLINGO使いというあたりから来てる気もするけど