ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

ソーシャルブックマークから生まれ・妨げられる思索の輪

以前のエントリー(id:Chaborin:20051114:1131949728)の中で、自分がBlogでエントリーを書こうと思うと、既に他の人に考えを書かれてしまっていることばかりだということを書きました。これだけの人がいれば当然です。良い意味でも悪い意味でも、どこのBlogであろうと誰でもすぐに閲覧することができます。だから、メジャーどころの話題ではホントに記事を書きにくくなりました。


 そんなふうに書こうと思ったことが他人に書かれていたことが何度かあると、もうソーシャルブックマークなんかに逃げ込みたくなります。他人が書いた記事を見ていれば、そのうち自分が言いたいことが書かれているのが見つかるだろう、と。そうすると、もう自分自身から情報を発信したいという気になれなくなります。そういう時、ソーシャルブックマークは実に便利な手段です。いち早くBlog界隈の話題の流れに乗っていけるし、いちいち考えて書かなくてもいい。
そうなると、書くことに対して臆病になっていたものだから、さらに追い打ちをかけるように億劫になっていってエントリーも減る、と。

だけど書くことは重要

だけども、書くことは考えることの訓練にもなってるわけで。思索を文字にまとめて表現すること、これって結構バカになりません。あとから読み返して恥ずかしくなるような文章だったとしても、当時書いたこととして懐かしくもあります。


こういう駄文がBlog全体のS/N比を悪くしていってしまうのだから、プライベートモードにでもして書けば良いのだけど、、、パブリックで書くということは、自分にとっては大事なことです。それが他人の目に止まる可能性があるということだけで、自分が書く文章に責任が出てきて、書きっぱなしではいられなくなる。だから、余計に考えます。少なくとも、考える量はソーシャルブックマークで適当に1行コメントを入れるよりもよっぽど考えます。だからこそ、書くことは重要だと思っています。

思索の中間点としてソーシャルブックマークを使う

逆に取れば、他人の考えを簡単に手に入れることができるソーシャルブックマークは、思索を完全に中断しなくても、思索を広げられる道具になります。だけども、この便利なツールを、書くことをためらうほど思考を妨げるものにするべきではない。


何を書いて、何はブックマークするか。そのあたりのさじ加減の難しさを感じながら、今日もやっぱりブックマークしちゃいますし、こういう根本にかかわるような記事でもエントリーしちゃいます。


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