ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

衆議院が解散されて総選挙なわけですが...

Blog時代になって初の総選挙、なんて記事が踊っている昨今ですが、うちのとこでもいっぱしの考えを書いておこうかなと思います。


まず、私のスタンスがどこにあるかというと、改革穏健派です。
特定の支持政党なし。ウヨでもサヨでもなく、その時々に合わせて投票する人も政党も変えます。


今回のどたばた騒動を見るに、なにが民営化だーとか思ってました。そんな多数派工作するような政治の茶番劇のようなものに嫌気がさしていました。
だけど、よくよく論点を見ていくと、国会のドタバタ劇より本質を見据えなければならない、と。あんな「多数派工作」なんておもしろおかしく書いてる新聞記事などどうでもいい。そんなくだらん茶番に目を奪われるな、と。


要は、郵便局は果たして官営でなければならないのか、ただその1点じゃないでしょうか。


人口過疎地・離島のサービスが低下する? プライバシーが護られない? 貯蓄・金融システムが不安定になる?
それはそうだと思います。プライバシーってのは法律の問題だからどうってことないとは思うけど。
だけど、それ以外に不便になるというところは、単純にお役所だからある「安定感」が「不安定になる」という恐怖感が先行しているだけではないでしょうか。


正直、日本の財政システムは破綻寸前であることは誰の目にも明らかです。だけど、先送りしたい... 今の甘露をそのまま享受したい... そんなこんなで、見て見ぬふりをしているのが現在。
郵政に留まらず、官営事業が無駄だらけという状態を打破しないことには、この先の財政スリム化などやれるわけがない。民間が血のにじむ思いでコスト削減をしているのに、官営はそれどころか公共事業と銘打って、お金を使わなければならない立場にあるわけです。公共事業はマクロ経済の中ではとても重要なものですが、それに対してしっかりと使い道と効率をチェックできていないのが現在の公共事業です。
つまり、郵便ごときでも民営化されないことには、官庁のコスト削減などあるわけがない。


かつて国鉄が民営化されて、たくさんのローカル線が廃線になりました。確かに鉄道ファンにとっては悲しい出来事でしたが、だからといって交通が全体的に不便になって、混乱が起こったわけではありません。
それを考えると、単純に「郵便局だって民営化すればいいじゃん」。


http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/08kaiken.html
このスピーチの中で、最もわかりやすい部分は

なぜ、三十八万人の公務員じゃなければ、この郵便局のサービスは展開できないんでしょうか。私は郵便局は国民の資産だと思っている、過疎地でもなくなりませんよと、今の三事業のサービスは過疎地においても、地方においても維持されつつ、民間人に任せても十分できますよということを言っているんです。

というとこですね。


新聞では「ガリレオガリレイがどうの」っていうへんてこなくだりばかりを引用している意味がまったくわかりません。単に変人扱いしたいだけなのか・・・


議論が尽くされていないという意見があります。それはもっともだと思います。
ただ、国会を茶番劇のようにおもしろおかしく見せるのはもうよしてほしい。
一番の問題は、そういう方向にしむけてしまっている新聞達だと思います。
だって、肝心の民営化法案中身の記事より、多数派工作がどうなるこうなるという話ばっかりじゃないですか。。。


そんなわけです。
ただ、ひっかかる所もあります。

 これができなくて、もっと大事なこと、最も大事なこと、公務員の特権を守ろうとしているんじゃないですか、国家公務員の身分を守ろうとしているんじゃないですか、反対勢力は。そういう既得権を守る、現状維持がいい、そういう勢力と闘って、本当に改革政党になる、自民党はなったんだということから、この選挙で国民に聞いてみたいと思います。自由民主党郵政民営化に賛成する候補者しか公認しません。
 言わば、はっきりと改革政党になった自民党が、民営化に反対の民主党と闘って、国民はどういう審判を下すか聞いてみたいと思います。だから解散をしました。

いつから自民党は改革政党になったのか不思議です。こればっかりは同意できませんが... 不思議なものです。


いずれにしても、政党の内部をきっちりと統一できなかったために発生した今回の問題とも言えますが、前回の衆議院選挙でいくら小泉首相が「自民党郵政民営化をします」ということを争点としていたとしても、結局のところ、その争点が候補者本人によってないがしろにされていたわけです。
そもそも、日本の政治では公約が破られるケースというのは比較的多く、むしろ公約が守られたということでニュースになるようなことが多いと思います。例えば、青島幸男東京都知事の都市博開催中止。
しかしながら、それらのニュースになるような公約実行は大抵センセーショナルな話題を引き起こすために意図的に引き起こされたものであって、当たり前の公約を当たり前のように実行し、何のニュースにもならない公約のほうが大事なはず。


今回の郵政民営化が、その「当たり前の公約」ではなかったという点で、この公約は十分センセーショナルなものだと思います。しかし、大多数の政治家はそれをそう取っていなかったし、だからこそ何十人も反対したわけです。確かに投票それ自体は議員個人の自由であって、多数決という政党の数の論理の中では、むしろ「造反」することのほうが何倍も難しい。だからこそ、例え政党に属していようとも反対したという彼らの勇気は(誰かにそそのかされたにしても)もっと評価されてもよいと思います。
そしてもちろん、それに伴うリスクを受け入れ、例え自民党の公認を外されようと、正々堂々と「郵政民営化反対」を掲げて選挙に臨んで欲しい、と。その主張でもちゃんと当選する地域では、それが地域の声なのだから正しいわけで。


何も政党に全てを縛られる必要はない、ということですね。


逆に言えば、有権者である我々は、「政党」ではなく「候補者本人」を見なければならない、と。
政党を見て投票したのでは、今回のように「郵政民営化賛成」のはずだった党の人に入れたのに、反対票を投じてしまってちっとも自分の声を代弁してくれなかったということになります。それこそズレちゃってるし、何のために票を投じたかさっぱりわからない。


そういうことだと思います。


あー、めっちゃ長文になってしまった・・・(´Д⊂