ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

FF11不評の原因と自己肯定感の関係 第3回

ちなみに第1回と第2回が遙か4ヶ月前なので一応リンクを張っておきます・・・あふぉですね。
第1回:http://d.hatena.ne.jp/Chaborin/20040928/p2
第2回:http://d.hatena.ne.jp/Chaborin/20040929/p1


第1回でつっこまれ、第2回で飽きて放置してるという状態だけど、久々に更新してみたいと思います。
ちなみに、第1回・第2回とも今読み返してみるとトンチンカンなこと書いてますね・・・うーん。でも馬鹿っぽさ全開ということで晒しときます。

自己肯定感の存在

FF11、ひいてはMMOの自己肯定感の存在は、4ヶ月前にある程度書きましたが、その中でもとりわけゲーム内で重要なのが、「データの蓄積」、MMOはこれに尽きると思います。プレイヤースキルや晒し行為がどれだけあったとしても、結局のところはこの「データの蓄積」があればあるだけ、ゲームの中での自己肯定感が育まれることになります。
MMOの前身であるMOでもこの傾向が見られます。しかし、MOでは他人に対する自己顕示の方法はあまり発達しているわけではなく、「KSOH*1取ったぜヒャッホーイ」といった自慢は、ゲーム内ではせいぜいパートナー数人との関わり合いしかないので、自己承認欲求が満たされる可能性は比較的低いと言えるでしょう。
こういった場合、自己承認依頼は主にゲーム外で行われます。スタンドアロンのゲームでも、セーブが発生する各種ゲームは同じようなものかもしれませんが、主に自己満足で留まっている程度でしょう。ドラクエ8のちいさなメダルなどはその良い例だと思います。
これに対し、MMOはゲーム内で他者との触れ合いが格段に増えているので、ゲーム内において自己承認欲求を満たすことができるわけです。

嗜癖の発生、SNとの接点

この自己承認欲求の充足により、嗜癖*2が発生します。最も大切な家庭生活、社会生活や生命維持よりも、嗜癖によって習慣化されてしまった自己承認欲求の充足を求めるようになるのです。
MMOでの嗜癖とは、タバコや酒、薬物による薬物嗜癖とは違う、いわゆる対人関係嗜癖と言えるでしょう。
この「対人関係嗜癖」というキーワードを使って、今流行のソーシャルネットワーク(SN)とMMOの接点が出てくることになります。どちらも、自分が認められたいから行動を行うのです。そこで、いわゆるSNの中毒性とかMMOの中毒性といった議論が発生してくるといって良いと思います。例えばMixiでいうところの「マイミクシィ」の数もまた、対人関係の象徴としてその中毒性を象徴させるものかもしれません。
簡単に言えば、自己承認欲求を満たしてくれるための手段は、全て対人関係嗜癖になりうるということです。だから、どれだけ健全なコミュニティであろうが、どれだけ不健全なゲームであろうが、全ては人間の欲求充足のために嗜癖になりうるということであり、逆に言えばその自己承認欲求があるからこそ、人はSNやMMOに群がるのです。

SNとMMOの自己承認手段の違い

SNとMMOとの違いについて言及するとすれば、SNは自己の存在そのものを自己顕示するための手段であり、MMOはその1段階上で自己イメージを作りやすい、ひいては自己イメージに頼らずとも、高レベル・高スキル・強力な装備といった、「仮想要素」によっても自己顕示できるという点で大きく違います。
もっとも、この自己顕示の手段というのはMMOでは様々な形をとることができます。例えば、ゲーム内での馬鹿行動を人気サイトとしてゲーム外で発表するといった古典的手法も依然として自己顕示手段として存在しています。この手法は、現在ではBlogという表現の敷居を低くするツールとゲーム内でのコミュニケーションによって、更に活性化しています。

自己承認欲求に対する批判

MMOでの自己承認欲求はともすれば暴走し、他人の批判につながります。もしくは、過剰な自己承認欲求に対して他人が批判してくることもあるでしょう。非女被害報告所*3はその典型例です。このサイトでは、非女という存在が他者を攻撃したり物的充実や他者の心を支配する、いわゆる「共依存」状態を追い求めて自己承認を得ようとしています。また面白いのは、逆にこういったまとめサイトを作成することで、他人の醜態を見て皆で喜怒哀楽に耽るといった逆の利用もなされています。
また、MMOでは頻繁に「晒し」行為が発生します。そして、その晒しに対する耐性を持っている人も多く存在します。それは、ひとつがMMOでは対人関係が唯一無二の表現手段でないこと。ステータス・スキル・レベルといった副次的要素が、その「晒し」から彼らを守るのです。
この点でMMOとSNは一線を画しています。なぜなら、SNでの自己顕示とはその人の存在そのものであり、それを批判することは自己イメージを直接批判することにつながるため、あまりに受ける側のダメージが大きいのです。それを無意識で悟っている大部分の人が取る方法は、その人を無視するしかありません。無視することによって、自己の存在を守るしかないからです。無視せずに批判をすると、いわゆるお互いのプライドを賭けたフレームに発展しやすくなってしまいます。これは、古来から伝わるNetNewsのフレーム論争などでも証明されていると思います。しかし、NetNewsに比べると自己表現の後ろ盾(画像、フレンドや日記やらの露出)が格段に多いので、NetNews等の文字対文字のフレームに比べ、SN上でのフレームはお互いの人格に対する致命的な争いになってしまいます。逆に言うと、だからこそ人はお互いに批判することを思いとどまるのです。
結果として、SNもまた、自己承認欲求を満たすことができる「楽園」となるわけです。こういった所では、どれだけ規律を厳しくしたところで嗜癖者を産みだすことになるでしょう。


うさだblogさんのところでは、Mixiを「気持ち悪い」として引いていました。誰も宣告はしていないとは思いますが、批判を無視にすり替えざるを得ないSNでは、つながりの低さイコール自己への批判(つまりうさださんの言う「お前は無価値だ」という宣告)と受け取れる構造になっている、興味深い指摘だと思います。
ただこの邪推(あえて邪推と言わせていただきます)の背景には、自己承認欲求の対極にある「見捨てられ不安」があると思います。本来、自己が確立してさえいれば、他者からどれだけ承認=つながりをもらったとしても、あるいは自己がどれだけ他者と独立していたとしても、それは全く自分の評価には関わりのないことですから。


がらにもなくえらく堅い文章を長文カキコしてしまったーーーーーーー(´Д⊂
また次回。




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*1:King's Sword of Heavens. Diabloで出てくる、最強武器の代名詞的片手剣

*2:やりたいと思っていなくてもやってしまう癖のこと。

*3:http://f54.aaa.livedoor.jp/~ffxihime/