ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

したいことをするために

自分のしたい事をする。
したくない事は、できるだけやらなくてすむように立ち回る。
それでもしなければならない時は仕方ない。


たとえば、他人に対するおせっかいや気遣いでも、それがしたい事だったらするけれど、
それが相手のためになっているのかが抜けていては、せっかくの行動の価値は半減する、
とよく言われる。
だが、自分は「相手のためにする」なんて綺麗事をぬかしたりはしない。


もし、それをするもしないも自由な選択ができるのであれば、絶対にしない。
逆に言えば、もしそれをする必然性が全くないにもかかわらず行動したとすれば、
それがしたいことだからだ。
そして、その「したいことをする」というのは自分勝手とは本質的に違うものだ。

そういうことを考えていくと。
いわゆる他人に対する「無償の愛」などという言葉が幻想であることを
骨身に染みて理解している自分にとっては、なんとも言いようのない焦燥に
かられる時がある。
今日のじめじめとした生暖かい天気は、そういうことを思い起こさせるのに
十分すぎる条件だったと思う。
ありとあらゆる破滅的だけど美化された思い出がフラッシュバックしてくる中で、
自分の感情に素直になれないというか、自分を信じ切れない自分がいて、
意味もなく落ち込んだりするわけだが。



願わくば、自己の行動が相手のためにもなっていることを。
そして、そうなっていられる分別を持ちつづけていられることを。