ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

FF11の晒しと祭りの文化(2)

http://ff11ifrit.blog13.fc2.com/blog-entry-68.html
本人釣りと称してますが、本質を考えればそもそも釣りになってないし。

この事件によって明らかになったこと

前回のエントリーでも書いたとおり、私たちはこのような問題人物に関わらないのが最も賢明な立ち回りなわけで、そういう「問題人物に関わらないようにすること」を周知するのが祭り行為なわけです。
しかし、どんな状況になったとしても彼が活動するフィールドが狭くならない限り、本質的には何も変わりません。晒されることによってプレイが困難となる、「野良でないとできない」ものが多くなくなってきているように思います。
彼が「釣り」と称した行為を実行できるのも、祭りという晒し行為の限界を理解しているからにすぎません。

コミュニティの分化、固定化

最近になって思うのは、発売当初に比べて野良PTや野良ミッションが減り、LS内やフレ同士での行動が多くなったということです。アサルトのシャウトも最初は頻繁にあったものの、近頃ではちっとも多くありません。ラミア13号か土竜作戦のどちらかばっかり。
このようにFF11コミュニティの分化、固定化が進んでいった結果、くだんの問題人物と関わらなくても良くなり、結果として祭りの効力も薄れていくことになります。
これは、レベル上げなどによって強制的にコミュニティの平準化を推進していった過去に比べ、FF11が新しい時期に入っていることを意味していると考えます。

それでも晒しは怖いもの?

どちらかというと、あることないこと私怨や何やらで晒されることは、それだけ既に「目立っている」ということになります。つまり、目立ちたがり屋さんによっては格好のフィールドなわけです。ある意味では、晒されること自体が一つのステータスになってきているというわけで。
過去の不特定多数を相手にした晒し文化は、LS内の連帯といった壁によって徐々に効力を失いつつあります。依然として一定の恐怖感を保ち続けていく部分もありますが、問題行動に対するコミュニティの自浄作用が失われつつあると言えるのではないでしょうか。