ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

ありがとう、はてな様。 〜パブリックで書くということ〜

最近、情報収集のアンテナが高くなったなあと感じ、同時に下手なことをこの日記で書けなくなったなぁ、とも思います。
そのきっかけは、のまネコ問題を取り上げた例の記事*1です。

書きにくくなったなぁ

今までは、自分が今考えていることを好き勝手に言いたい放題してました。すると、それがたまたま通りがかった人や、自分に近い人に読まれたりしてちょろっとコメントをもらう。
こういういわゆる内輪的な雰囲気で書いていたこの日記でしたが、例ののまネコ問題の記事によって、転載した文章の力を借りて突然スポットライトを浴びてしまったわけです。
もちろんそれは自分の力ではなく、あくまでその評論元の文章を誰が書いたか、それが閉じた空間で発表されていたものをパブリックな場に出したという条件が重なって、こうやって多数の人がこの日記にやってきて、見ていったわけです。そういう大前提があっての感想だけど、やっぱりいろいろと好き放題のことは書きにくくなったなぁ、と。

なぜ好き放題に書けない?

では、なぜ好き放題ではいられなくなったか。
ひとつは、自分が何か記事を見て、その思索から発展して出てきた考えというのは、たいていは誰かしらの先人が既に考えていて、大抵は既にトラックバックや言及などで発表されていること。そして、その記事は誰が書こうと文章として平等であることです。


今までは、印刷媒体に載らなければ誰にも見られなかったし、Webの黎明期には、やっぱり有名なサイトや、いわゆるポータルサイトにでも掲載されなければどうにも見られなかったものが、たった1〜2年で変化してしまいました。
これは本当にすごい。何しろ、社会的地位があろうがなかろうが、言説そのものが取り上げられて、純粋に良いもの、悪いものとして見られるわけです。これが実際に人と人とで会って会話したりすると、なかなかできない。その人の持つオーラやら何やらを感じずにはいられないからです。(そんなことで怖じ気づくな!という人は、さらにすごい。)

情報収集の質のどこが変わった?

話がすこし逸れます。
日本でアクセスが急に増える元と言えば、まずYahoo!ニュースのヘッドラインに載るかどうかですが、次に重要なのは、2ちゃんねるで(良い意味でも悪い意味でも)人気スレッドにURLが載る状態になるかどうかもあります。こうなると、良くも悪くも非常に注目を浴びます。
だけどこのことは、例えば新聞記者だったりポータルサイトの企画担当者だったりするところの恣意的なものによらなくても、個人から(口コミよりも強烈な速さで)情報が共有できるようになったとも思います。


次に(自分の中で)状況が変わったのはソーシャルブックマークです。これによって、個人の興味ひとつひとつでサイトが注目できるようになりました。(そうは言っても私のブックマークの収集手段は、たいていnaoyaさんのブックマークだったり、注目エントリーだったりするわけですが)おかげで私たちは、今までのニュースサイトをただぼーっと巡回するよりももっと早く多く確実に、メタな情報に近づけるようになったわけです。
だけど、このメタな情報に素人の私たちがいち早く近づけるようになったことは、逆にその情報の書き手たる私たちにも、ある程度のリテラシーや分別を要求するようにもなってしまったと思います。

個人の意見に他人を巻き込むな

最近ブクマ界隈をにぎわした「無断リンク禁止」問題もその1つだと思います。リテラシーの低い人が書いたエントリーを、リテラシーの高い人々が(本当にそうかどうかは別にして)揶揄し、批判的なブックマークを集めるわけですが、それは逆に個人の表現を妨げてはいないか、ということです。
あのエントリーは単に書き方の問題であって、仰々しいこと書いているからいろいろと批判を受けてたけれど、早い話が本人は無断でリンク「してほしくない」、と。それだけの話だと思うんですけど... 言葉尻ひとつでしか議論の糸口がないBlogというメディアでは、そういう批判が殺到するのも致し方ないかな、と思います。


話を少し戻しますが、のまネコ問題を書いた時のエントリーでどのようなブックマークコメントをもらったかというと...
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Chaborin/20051006/1128568912

  • 同意の意見

 2ちゃんねるにいる人だけの考え方ではないよね、という意見。
 これは、コメントとブックマークとトラックバックで頂きました。

  • 批判の意見

 ブックマークとトラックバックで頂きました。
 最もわかりやすい批判は、

# 2005年10月07日 fake-jizo 『自分の憤りを表出するのは構わないがそれに「みんな」を巻き込まないで欲しい。』

 仰る通りです。これはあくまで個人の意見なのに、「みんな」を巻き込むようなエントリーを書いたほうが悪い。これは、後の「無断リンク禁止」論問題と同じ構造を持っているように思います。
つまり、個人の意見は自由に表明できる。だけど、他人に干渉するようなことを書くな、と。
批判と同意が同時にブックマーク上で集まったのは珍しいかも... と思ってますし、それによって考え方の根底が違うんだろうなぁ、と。でもまぁ、どちらの意見も面白いですね。


だけどこの世界では、たとえ書き手が不快な思いをしたとしても、どれだけ自分のことについてのみ書いたとしても様々な批評は集まるし、それをすることを誰も妨げることはないです。間違ったことを書けば罵倒されるし、文章がどうの、推敲がどうのと言われる可能性があります。世の中に雑多とある(このような)稚拙な文章が批判を浴びなくて済んでいるのは、単に注目されていないからにすぎません。
だけども逆に言えば、エントリーも罵倒も言いっぱなしで良いし、言うことに対しての責任を求められることも(本来であれば・法律的/人道的に問題さえなければ)ありえないのではないでしょうか。だけども、先人の知恵のおかげで、何かしら一定のルールは存在するわけで。このアンバランスさがもどかしいところです。

じゃあ私は?

ちなみに私は物書きではありませんし、社会科学に対して専門的な勉強をしたわけでもなく、高校で倫理の勉強すらしていません。だから書き方も考え方もそれなりの、とても稚拙な文章しか書くことができません。逆に言えば、それはそれでその程度の人なわけです。だから、こういうメタな話が既出だとか焼き直しだとか言われたとしても、その批判はあって然るべき。それでも、このように批判なり同意なりをもらえるような場をもらえることは、素人にとってはとても嬉しいことなわけです。罵倒されるとかなりへこむけど。


それでもなお批判されればその批判の原因を考えるし、同意してくれたら、その人は自分の意見になぜ同意したかを考えて、また次の思索に結びつきます。聞くに堪えない罵詈雑言を浴びたとしても、なぜそのような言葉を吐きたくなったのかを(本人の目の前でないところで)考えるわけです。


結局、こうやって思索が増えたということは良いことだと思いますし、そのように思索が増えたのは最近になってのことです。


とっても感謝してます。
ありがとう、はてな様。


でも、もう少し書きたい放題書きたいなぁ。mixiでなくて、ここで。

*1:id:Chaborin:20051006:1128568912