ChaboのFF11日記+(跡地)

IfritサーバでFF11をやっていたChaborinの日記でした。

勝ちパターンと自嘲スパイラルの関係

どうも、最近自分の勝ちパターンを忘れたなぁ、と思ったのは
昨日の終電1本前の電車にごとごとと揺られていたときのこと。


人にはいろいろいるけれど、少なくとも自分はいっつも何か自分の自信になるようなものを求めて
どうにかこうにかもがくような存在だよね。多かれ少なかれ、人なんてたぶん誰だってそんな感じだろうと
思うけど、特に自分にとって致命的なのは、そのいわゆる自信につながる「勝ちパターン」をあんまり持っていない
ことだったりするのかなぁ、と思う。


なんていうと、限定的にしか自分の自信がなかったりするわけなので、それが本質的にどうなのかってのも
いまいち感触がなくて。。。むぅ。


そんな状態じゃ「自分が存在しません」と言っているのと同義なもんで。人に興味を持ってもらえない、
つまり人に気に入られない。逆に言うと自分自身に興味が持てない。
てことから自嘲スパイラルになるわけですな。


さて、自嘲スパイラルに陥ると人が取る行動は2つほどあるような気がします。
ひとつめは、やたらとハイテンションになる。自分が寂しい存在であることを埋めるためには、そうやって
自分を欺瞞しないといけないんよね。そして、そこはかとなく漂う自信の無さを必死に知られまいと演技するのが
日常になって、そこから自己像の崇高化、さらにその自己像に到達できない自我とのギャップを
目の当たりにして、逃避行動を取る毎日。それがいわゆるピエロ化だと思う。


もうひとつは、なにかしらにつけて、微妙に隠れた露出行動が多くなることです。
たとえばこういうblogとか日記とか、人に読まれることを期待して自虐的な自己内面を垂れ流す行為もそうかも。


こういうときの心理ってすごい単純で、とにかくどこかで自分の存在を認めてほしいんだと思うのです。
別に通りすがりの人でもいい。でもリアルでは絶対知られたくない。せいぜい、ネトゲつながりな人とか。
ゲームの世界では普段は明るく振る舞ってる人が、日記や自己プロファイルになるとめっちゃ脳漿を垂れ流すような自虐文で埋め尽くされてたりする。
こういうのって、自分の中では認識していない、いわゆる「自虐釣り」なんだろうなぁ、と思う。
寂しいから「寂しい」と書いて、それにかまってくれる人を探すんだけど、自分の行動は正反対に、
寂しくない、自分は一人で立派にやっていけるんだという自己像にとらわれて独立独歩な行動をしてしまうから、
精神と行動のギャップに毎日さいなまれて、こういう場所で発散するわけね。
そうやって孤独を埋めている人を何人も知ってる。


こういう人が女性の場合は、どこかの男性がそれを見てかまおうとするわけで。逆に男性が自虐的文章を書き連ねても、単なる女々しい奴でしかないのが性差ですねぇ。


さて、書きたいことを書き殴って既に誰も読んでいないのではないかと思うんだけど、
結局勝ちパターンってのは、自己満足をいかにして達成するかという1点に絞られるわけね。
たとえば、ゲームでうまくやること。これだって自己満足だし、他の人と一緒に楽しく遊ぶのだって
これもまた自己満足。他の人を助けて喜んでもらうのもまた自己満足。
しまいには、生きていることそれ自体が満足につながる。
こういう満足でいくつ自分を包み込めるかってのがとっても大事なわけで。


自分の最高の勝ちパターンは、良いプログラムロジックを満足するスピードで書ききった時と定義してます。
だけど、27も終わりに近づいた今は、次の勝ちパターンを見つけなければならない時期かもしれないと思ってます。
そして、こういう自虐的オナニー文章をあとで「こんなこと考えてた時期もあったんだね」と文字通りやさしく包み込める、リアルな自分が持てるようになることを希求しているわけです。


それこそ、人生での真の勝ちパターンかもね。


※FFのアップデート中に書いた文章なので、内容がめちゃめちゃかもです。ごめん自分。